第三十四帖【若菜上】から始まった源氏物語第二部(諸説あるうちのひとつの分類方法です)も第三十九帖【夕霧】まで進めてきました。
朱雀院の出家というたった一滴の滴がとんでもなく波紋を広げてしまいました。しかもよろしくない方向に。
朱雀院が出家しなければ女三宮は結婚の必要はなかった。
朱雀院が出家しなければ朧月夜と源氏の復縁はなかった。
朱雀院が柏木と女三宮の結婚を認めていれば源氏に縁談話は持ちかけられなかった。
源氏が女三宮と結婚しなければ紫の上は傷つかなかった。
源氏が朧月夜と復縁しなければ紫の上を更に悲しませることはなかった。
紫の上が絶望しなければ出家を願わなかった。
紫の上が出家を願い出なければ源氏が六条御息所の話はしなかった。
源氏が六条御息所の話をしなければ紫の上と女三宮は呪われなかった。
女三宮に恋しなければ柏木は死ななかった。
柏木が密通しなければ女三宮は源氏の妻でいられた。
柏木が亡くならなかったら女二宮は未亡人にならなかった。
柏木が亡くならなかったら夕霧は女二宮に恋しなかった。
夕霧が恋しなければ女二宮はひっそり暮らしていた。
夕霧と女二宮が結婚しなかったら雲居の雁との夫婦仲は悪くならなかった。
夫婦仲が悪くなければ雲居の雁は実家に帰らなかった。
O-Zenzai
間接的に「朱雀院の出家」は「夕霧と雲居の雁の別居」を引き起こしたことになりますね。
朱雀院に女三宮に女二宮に朧月夜。
源氏に紫の上、夕霧と雲居の雁。
それから柏木。
多くの人を巻き込みました。
誰もが哀しみを抱えている。なんとか救われたいと、あるいは誰かを救いたいと、それぞれのキャラがもがきます。求めます。それぞれの思惑はときに絡み合い、引き摺り込まれ、またときに交わることなく彷徨い……。
まさに「負」の連鎖、「魔」のスパイラルですよね。
ふと思ったのですが、朱雀院の母親はあの弘徽殿女御。源氏のお母さんの桐壺の更衣をいびり殺した女帝です。夫である桐壺帝は彼女を形式上の皇后にはしたもののオンナとしては桐壺の更衣にも藤壺の女御にも適わず、息子の朱雀院は帝位につくけれど源氏は息子の嫁(朧月夜。しかも弘徽殿女御の妹)に手を出すし、とにかく源氏には屈辱ばかり受けていました。この【夕霧】の時点で弘徽殿大后がご存命なのかどうかはわからないんですけれど、朱雀院の出家をきっかけに源氏の人生が狂わされたなんて、もし弘徽殿女御が知ることがもしあったなら、ガッツポーズしたかもしれませんね。
O-dango
O-dango
第一部(第一帖から第三十三帖)で栄耀栄華を極めた源氏でしたが、第二部(第三十四帖から第四十一帖)では一転その輝かしい人生が翳ってきます。
こうして読み進めてくると、ただのハイスペックイケメンのモテモテ人生を綴ったラノベでなくなってきますね。源氏物語といえばどうしても華やかな恋愛小説の色調をイメージしませんか? でもそれだけじゃない。
紫式部センセイはどこまでの展開を考えてこの大長編小説を書いていらしたんでしょう。この人生の翳りが描きたいための第一部のめくるめく恋愛絵巻があったのでしょうか。
Okaki
源氏の激動の人生を通して紫式部センセイが伝えたいこと。
時代や生活様式や家族形態が変わってもなお訴えかけてくるテーマ。
あまりにも壮大で普遍的ですね。
だからこそ千年読み継がれる。
大長編の物語も第三十九帖まで読んできました。第四十帖【御法】、第四十一帖【幻】の2巻で第二部が終わります。源氏と紫の上の最後の物語です。
Matcha Soft Cream
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